私の会社は縦は室町通り沿いのビルにあります。
室町と言えば、足利尊氏が1336年に京都に幕府を開き、約240年続いた”室町幕府”の由来となった名称。室町通りは、そんな凄い名称の道なのに一方通行で地味な細い道です。その地味さと名称のギャップについて前々から気になっていたので、少し調べてみました。
室町幕府第三代将軍足利義満が1378年に今の同志社大学今出川キャンパスの近くにあたる室町今出川付近に「花の御所」と讃えられる厳かな建物に移り住み、そこで政治を行ったことで室町幕府、その時代を室町幕府を呼ぶようになったそうです。室町通りに御所があったので、室町時代と呼ぶようになったというのは分かりやすい説ですね。
では、そもそも、なぜその界隈が「室町」と呼ばれるようになったのでしょうか?
調べてみたところ、室町は室町実藤を開祖する鎌倉時代に創立したお公家さんの名前だそうです。その室町家が今出川室町界隈に「花亭」と呼ばれる本邸を構えていたことで、その界隈が室町と呼ばれるようになったようです。 しかし、1379年に足利義満にその「花亭」を譲り、足利将軍家が「室町殿」と名乗るようになると、室町家は家名も「四辻」と称するようになったそうです。当時の室町さんは、邸宅も名前も足利家に譲り渡した心優しい公家さんだったのでしょうか?それとも「田舎侍め!!」と怒り狂っていたのでしょうか。真意は分からないないのですが、自分の事と思うとやるせない気持ちになりますね。ちなみに四辻家は明治期には室町家に名称を戻したそうです。
今では室町通は、地味な一方通行の道ですが、江戸時代には呉服店が立ち並ぶ問屋街で、多くの人が行き来した、名に劣らない繁華街だったそうですよ。今でもその名残で老舗店が軒を連ねていますので、是非一度歩いてみてください。